【必見!】教父哲学から、考えることを学ぼう

☆アウグスティヌスの哲学を学び、キリスト教がいかにギリシア・ローマの哲学と結びついたかを学ぶ

アウグスティヌスは哲学史・神学の歴史を大幅に変えた人でした。彼の母は熱心なキリスト教信者でしたが、父は典型的な放蕩人間で、アウグスティヌス自身も青年時代は奔放な生活を送っていました。若いときにはマニ教(ゾロアスター教や仏教やキリスト教を融合させた新興宗教)にハマったり、懐疑主義(なんでも疑いまくる、哲学の一種)に興味を持ったりしますが、新プラトン主義の哲学と出会うことでキリスト教に帰依するのです。

☆新プラトン主義の哲学とは

プラトンの項でも少し触れましたが、プラトンが亡くなったのち、プロティノスというギリシアの哲学者がプラトンの哲学を発展させて、新プラトン主義を作ります。プラトンはイデア界(にあるさまざまなイデア)を絶対的で完璧な存在だと考えましたよね。プロティノスはこのたくさんある「イデア」をひとつにまとめて、「一者(トヘン)」と呼びます。トヘンの外側には理性、理性の外側に魂、さらにその外側には物質があると考えました。ここでいう理性とは、真実の知を追い求めたり理解したりする能力のことをいい、人間であればどんな人にでも備わっているものです。トヘンはたびたび流出し、理性のほうに流れてきます。すると今度は理性が流出します。これを繰り返し、最後には物質が流出するわけです。

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流出とはどういうことか。これは、神の光が当たる様子、とよくいわれます。プロティノスのいうトヘンは、神のようなものなのです。まんなかに電球がおいてあって、その周りをぐるっと囲むように3層のゼリーがおいてあったとします。いちばん電球の光があたって輝くのは一番うちがわのゼリーで、一番そとがわのゼリーは一番暗いですよね。神の光を受けるというのは、ここでは完全性のことをさします。簡単にいうと、どれだけイデアに近い存在かが、光の量によって決まるという感じです。また、この「流出したもの」はトヘンへと戻っていきます。この神の光をさかのぼることで、人間であっても完璧な状態(=イデア)に近づくことができるとしました。

もちろん、プロティノスはギリシアの哲学者であり、キリスト教を信じているわけではないので、ここでいう神はキリスト教の神ではありません。ですが、トヘン=「一者」という言葉のとおり、トヘンはオリンポスのたくさんいる神々、、、とはニュアンスが違い、あくまでひとりしかいない神のことを指しています。

アウグスティヌスはこの「神」をキリスト教の神に代えつつ、アリストテレスの理論と交えて理論を展開するのです。

☆新プラトン主義を経て、どうやって改心したか

そんな新プラトン主義の哲学に彼がひきつけられた理由は、新プラトン主義の一者が、この世にはっきりとした姿かたちを持つ存在ではなく、あくまで霊のような存在だったからです。

アウグスティヌスの傾倒していたマニ教では、神をはっきりとした身体をもつものだ、というように解釈します。一方、キリスト教の神は、新プラトン主義の一者と同じで、はっきりとした身体をもつわけではなく霊のような存在です。聖書は「はじめに言葉ありき」というふうに始まりますよね。この「言葉」こそ神なのです。アウグスティヌスは実体のない神がどういう存在なのかを理解できず、そのためにキリスト教の神を信じられないでいました。そのときに新プラトン主義に出会うことで、キリスト教に改心することができたのです。

また、アウグスティヌスは人間の心の奥深くに神が存在していると考えます。神が心のなかにいるからこそ、人間は理性にしたがって行動することができるのです。そのため、彼は自分の内面との会話を大切にしました。自分の心と対話し、信仰することで、神(一者)に近づくことができるからです。

☆教父哲学のゆくすえ

アウグスティヌスは教父哲学の代表者です。教父とは、教会の司教たちのなかでもとくにキリスト教の教義を確立するのに寄与した人たちのことをいいます。たとえば、彼がかつて傾倒していたマニ教は、キリスト教のなかのグノーシス主義というところに属します。グノーシス主義の教父たちももちろん存在しましたが、グノーシス主義はのちの時代に異端キリスト教だとされてしまったため、彼らの思想は教父哲学とは呼ばれません。

教父哲学の担い手となった教父たちは、自由七科の研究も広く行いました。自由七科はいまでいうリベラルアーツで、近世近代の大学では必修科目になっていました。

☆まとめ

アウグスティヌス、アタナシウス、グレゴリウスなど、この時代に活躍した教父たちの哲学を教父哲学と呼びます。彼らはプラトン、プロティノス、アリストテレスらの哲学を応用しながら、キリスト教の基礎としていったのです。この後、スコラ哲学と呼ばれる哲学がおこり、実在論者と唯名論者との間で普遍論争が起こります。神学と哲学が切っても切れない関係になっていくのです。

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